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業界ブログ

2024年12月20日

ソフ倫30周年記念座談会【前編】

ソフ倫は、1992年10月に設立され今年で32年目となりました。
コロナ禍もあった為、記念イベント等を開催する事ができませんでしたが、WEBでの会議等が広く浸透した事等を受けまして、この度、WEB会議形式にて、ソフ倫設立30周年記念座談会を開催させていただきました。
大変ご多忙の中、ご参加を賜りました加盟会社様に感謝を申し上げます。

ご加盟が20年を超えているメーカー様をメインに現在も精力的に新作をご発表されておりますメーカー様にお声がけをさせていただきまして、8社の加盟会社様にご参加をいただく事ができました。

司会進行:
BugBug 大澤編集長様
参加者:
アリスソフト 白木社長様・HIRO様・ぷりん様
ウィルプラス 榊原取締役様
エフアンドシー 矢野課長様
ケロQ/枕 SCA-自様
ネクストン 松井取締役様・あおきゅん様
フロントウイング 山川社長様
まどそふと taichi様・長老様
ランプオブシュガー かわうそP様

◆大澤編集長様

BugBugで編集長させていただいております、大澤です。
今回は司会進行役を受け賜りました。
錚々(そうそう)たる面々で、大変恐縮です。
拙い進行ですが、どうぞよろしくお願い致します。

それではまず各社様の自己紹介をお願い致します。
簡単にどのようなお仕事されてるのかとか、どのようなメーカーなのかというのも兼ねて、各社様の設立時のエピソードを、お聞かせください。
ソフ倫の設立30年に合わせて美少女ゲーム業界を振り返っていただければ。

今の若いユーザー様が、「昔はこうだったんだ。面白そうだな」と思っていただけるような内容になると良いと思っておりますので、ぜひ、よろしくお願い致します。

自社の設立時の事は分からないという方もいらっしゃると思うんですが、先輩職員に聞いた話や、当時、ユーザーだった頃の思い出等でも構いませんので、よろしくお願い致します。

それでは、会社の歴史が長い順がいいと思いますので、ちょっと僕の肌感というか簡単に調べたところなので、もし実態とか詳しいところで前後していたら恐縮なのですが、まず、アリスソフト様から自己紹介と当時の設立時のエピソードなど何かありましたら、是非、よろしくお願い致します。

◆アリスソフト 白木社長様

では最初は私から。アリスソフトの白木です。
現在代表取締役です。よろしくお願いします。

私が入社したのは平成10年(1998年)なので、設立時は会社にはおりませんでした。
私よりも開発部長のぷりんの方がその辺りについては詳しいと思いますので、設立時のエピソードは私よりも開発部長に話してもらった方が良いかなと思います。

弊社は昭和58年(1983年)設立なんですが、所謂美少女ゲーム業界に参入したのは平成元年(1989年)で、現在満35年を過ぎたところで、私はその内の25年ほど弊社に在籍しているという事になります。

個人的なエピソードを挙げますと、弊社設立当時、私は大学生でしたのですが、当時は個人でパソコンを持っていなくても大学の研究室にはあったので、理系学部の友人からアリスソフトのゲームを遊んでるみたいな話はちらほら聞いてました。
それでは、開発部長、お願いします。

◆アリスソフト ぷりん様

アリスソフトの開発部長を務めております、ぷりんと申します。
メインの業務はゲームデザイナーです。

自分も、会社設立時は、アリスソフトに在籍しておりませんでした。
入社したのは、アリスソフトというブランドができて2年目になります。
最初の『ランス』が発売された後で、『ランス2』を開発中でした。
それ以前は会社がかなり厳しい状態だったと聞いています。
それこそ給料もまともに払えないという時期もあったようで。

『ランス』がそこそこヒットしまして、給料も払える状況になり、新しい人間を入れてこれから開発力を増強しようという事で、原画のYUKIMIさんが、自分が通っていた専門学校に募集をかけに来ました。
正直、その時は全然アリスソフトの事を知らなかったのですが、ゲーム制作会社という事で興味を持ちました。
実は漫画家を目指していたのですが、見込みがあるわけでもなし、全然先は見えてないけど卒業は近いという状態の時に、ゲームを作る仕事も良いな…という感じ。
ゲームは大好きだったので、ちょっと応募してみようかなと思って面接に行ったら採用になりまして、もうそこから34年間、アリスソフト一筋でやっている状態です。

ソフ倫30周年記念という事で、ソフ倫に関してなのですが、前任開発部長のTADAさんが、ソフ倫設立の時から関わっていまして、
ソフ倫がどういう存在か、ソフ倫が何のためのもので、自分たちはなぜソフ倫を作らないといけないのか。
自分たちをただ縛るための存在ではなく、あくまでも自分たちの仕事がちゃんと社会の中で成立するための組織というか、保証のようなものが必要なのだと、かなり前向きに取り組んでいました。
自分はとことんゲーム作りの方の人間でして、エロの方は関わりが薄い…いやエロ自体には全然興味あるんですけど(笑)、ちょっと担当外でした。
でも、ソフ倫の重要性はTADAさんづてに聞き、理解していました。
TADAさんが退社されてからは定時報告に目を通すだけの感じになってしまって
…申し訳ないですけど現状はあまり分かっておりません。

ランス2/1990年5月15日発売

◆大澤編集長様

ソフ倫の活動とかについてとかはまた後で、おいおい聞くと思います。

いや、もう本当レジェンド中のレジェンドというか、当時どう説明されてたとか、個人的にも興味ありますので、また、改めまして詳しくお聞かせ願えれば、と思います。

それでは、次はF&C様。
矢野課長様は、設立当初の事はご存じないかもしれないですが、よろしくお願い致します。

◆エフアンドシー 矢野課長様

よろしくお願いします。
私は、F&Cの営業広報をさせていただいてます、矢野と申します。
よろしくお願いします。

本日一緒に同席する予定だった、原画家の藤井純生が体調を崩してしまいまして欠席となってしまいました。
テーマに関しましては、ご本人から回答はいただいておりますので、そこも紹介しつつお話ししたいとは思います。

1個目が設立時のエピソードなのですが、弊社は法人としては1996年頃に設立してるのですが、その当時の設立時のメンバーがもう誰一人残っていない状態でして、設立時のエピソードは何もなかったのですが、社歴の長いスタッフである藤井純生が当時入社するきっかけとなったエピソードをご紹介させていただきます。

ちょっと尾ひれがついてるかもしれませんが、ご本人的には、業界がまだそんなに活気があるわけでもなかった時代に、社員旅行で屋形船で大宴会を開いているというのを聞いて楽しみにして入社したのですが…ちょっと理由は分かりませんが、自分が入社した年から無くなってしまって悲しかった事が記憶に残っている、との事でした。

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
次は、ウィルプラス様、よろしくお願いいたします。

◆ウィルプラス 榊原取締役様

ウィルプラスの榊原と申します。
私も設立メンバーではありません。
私は、もともとウィル(現ウィルプラス)の出入り業者でした。

聞いた話ですけど、もともとはゲーム業界とは全く関係ないことをしていて、儲からないからということで、ゲームを作ろうとなりました。
当初は、プレステか何かのソニーのコンシューマゲームのソフトを作ろうと思ったのですが、あまりにもハードルが高く、技術もないからということでPCゲームの業界に参入しました。
そのPCのゲームを作った時に、私が広告代理店に勤めていたので、パソコンパラダイスさんから、ここに広告を取りに行ってくれと言われまして、初めて門を叩いたのが1997年のウィルが出した1作目の時の作品ですね。
そこからの付き合いで、数年後に当時の代表から「お前、ウィルに来い」と言われて今に至るという感じで、それ以来、私は今ずっとこの会社におります。

元々、私もゲームがそんなに好きじゃなかったというか…
何とか今でのやってるという状態です。

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
それでは、次はネクストン様にお願いします。

◆ネクストン 松井取締役様

ネクストンの松井と申します。
よろしくお願いします。

社内ではもともと事務として入社しておりますが、制作の方もやるようになりまして、プロデューサーと社内の役員をやらせてもらっています。
ネクストンに入った時期でいうと、僕より、あおきゅんの方が長いので、ちょうど僕が社歴でいうと、社員の真ん中、ちょい上かそれぐらいかなっていう半分ぐらいかなと思います。

もともと、弊社の社長が某電子機器メーカーで営業をしておりまして、大阪に来てから退職して、その時の取引制作物の一つであったゲーム基盤の会社を作るということで、美少女ゲームとは全然関係のないところからはじまりました。
パソコンのシミュレーターのソフト等を作っていたと思うのですが、そこの中の1チーム(Tactics)だけが美少女ゲームを作るということを始めまして、その時、他のチームがあまりうまくいっていなくて、美少女ゲームのほうでちょっと当たったのでそっちに舵を切ったというふうに聞いております。
そのメンバーというところは今うちには残っていなくて、樋上いたるが復帰しましたので、総メンバーを入れ替えた後に一人だけ復帰されたみたいな形になりました。
社長の一人だけから聞いた話ですので、その時のエピソード等は、今日はビジュアルアーツさんが座談会に参加されていないので検証のしようがないのですが、一方当事者のお話という風な感じで僕らは伺っているのですけど、ある意味それも楽しい社内の童話かな、みたいな感じで聞いています。

その時のことを私は「紀元前」という風に呼んでおりまして、社内で起こった出来事なのだなということで、思い出として楽しく伺っております。

最近のネクストンで言いますと、いわゆるクリーンな企業を目指しておりまして賃金であったりとか、福利厚生であったりの力を入れてこの前、税務署のほうに社内人件費がゲームの開発にあんまり入ってないのはどういうことだというぐらいには開発以外のところで力を入れているという会社になっております。
それでも今のところは市場が狭くなった業界でも生きていけているので頑張っております。
今日はよろしくお願いします。

◆大澤編集長様

よろしくお願いします。
あおきゅん様も、よろしくお願い致します。

◆ネクストン あおきゅん様

よろしくお願いします。
あざらしそふとで、ブランドの代表と主にディレクションを担当しております、あおきゅんと申します。
ネクストンに入ったのは、先ほど松井が話していた通り、社歴の方は自分の方が長くなっておりまして2008年です。
ネクストンが1993年に設立していますので、15年目ぐらいに入っております。

大体今で15年目か16年目ぐらいの在籍期間なのですが、自分が入社したタイミングで言うと、先ほど松井が話していた通りブラック気味というか、夜遅くまで会社に残ったり、あるいはもう泊まり込みで作業っていうのが常態化していました。
松井が入ってからは、会社の方をクリーンにしていこうという形で業務の体制の方もすごく改善されてきましたし、なおかつ給与体系の方も松井の方が社長にかなり掛け合ってくださったおかげで幸いにも賃金が上昇しておりますし、あとは販路についてもかなり開拓してくださったおかげで、新しいソフトとしてもかなり展開がやりやすいような状態になっているので、自分自身としては本当に松井には感謝しておりますし、現状のネクストンを支えているスタッフであるのは間違いないかなと思っておりますし、すごく尊敬しております。

自分自身としては、あざらしそふとがちょうど10周年で、10年間まるまるブランドを続けてきたわけですけども、これをさらに15年20年経ってとか、長く続けていけるような形で続けていければと思っておりますし、これからもゲーム制作を続けていきたいと思っております。
今後ともよろしくお願いします。

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
続きましてケロQ/枕様、お願い致します。

◆ケロQ/枕 SCA-自様

ケロQ/枕のSCA-自です。
代表取締役と、元々は原画をやっていまして、今はシナリオを書いております。

ケロQ/枕自体の設立は1998年11月なのですが、そもそも学生時代に同人をやってまして、この時代あるあるなんですけど、漫画家を目指していて漫画家やりたいなっていうのもあったのですが、結構その学生時代の同人で儲かったのと、あの時代だとやっぱり漫画家のデビューも結構難しかったっというか、人口も多かったので、自作自演のデビューみたいな感じでゲーム会社を作ったのが始まりです。

そもそもはこんな長くやるつもりではなかったんですけれども、1作目の「終ノ空」があまりにもぶったたかれたんで、もうちょっと評価の高い作品をっていうような感じで、だらだらやってたら今に至る、という感じです。

◆大澤編集長様

「終ノ空」は評価高かったと思いますが…ありがとうございます。
続けてフロントウイング様、よろしくお願いいたします。

◆フロントウイング 山川社長様

フロントウイングの山川です。
よろしくお願いします。

自分は中学生の時にまずMSXを買って、高校生でPC98DAを買ったんですけど、その時点でもうエルフさんとかアリスソフトさんとかF&Cさんとかはソフトを出してました。

当時はガイナックスさんとかも出したんですけど、そういうソフトで遊んでいて、大学生になった時にちょうど就職氷河期だったっていう事もありまして、今の会社はちょっと別で、1999年にカードゲームの輸出に関する会社を作っていたのですが、ひょんなきっかけで自分でもゲームを作れるんじゃないかな、と思いまして、自分がその時住んでいた亀戸にマンションの上の階が空いてたので、そこを借りてフロントウイングを立ち上げました。

2000年にゲームを出して、その後秋葉原に引っ越して15年ぐらいは秋葉原にいました。
今は九段下なんですけれども、そんな感じで25年ほどやらせていただいております。

◆大澤編集長様

それでは、次はランプオブシュガー様、よろしくお願い致します。

◆ランプオブシュガー かわうそP様

ランプオブシュガー代表のかわうそPです。
プロデューサーをさせていただいております。

設立のきっかけは、ユーザーだった頃はドスゲー時代だったのですが、エルフさんとかの「同級生」とかをプレイしてちょっと自分でも作ってみたいなという感じで業界入りを目指していました。
そこから実際に、エルフさんに入社しまして、そこで当時「臭作」等の開発携わっていたんですけど、そのあと何社かそこから渡り歩いて、そして、ちょっとひょんなきっかけから21年前にランプオブシュガーを設立することになりまして、今に至っております。
ブランド自体は来年20周年なんですけど、会社の設立は21年半ぐらい前です。
事務所は、何箇所か移転したのですが、ずっと秋葉原です。
夢が叶って今この状態になっていますという感じです。

◆大澤編集長様

最後に、まどそふと様よろしくお願い致します。

◆まどそふと 長老様

まどそふとで広報周りを担当しております、長老と申します。

すでに今、WEB会議の画面を見て顔見知りの方がかなりいらっしゃって、あれっていう方もいらっしゃるかと思いますが、私自身は設立メンバーではなくて、もともとソフマップ様の方で約20年間PCゲームの売り場を担当させていただいておりました。
その節のお世話になりました皆さん、ありがとうございます。
ソフマップからまどそふとに転職という形で売る立場から今回は作る立場というところで活動させていただいております。
まどそふとの設立メンバーではないのですが、一応、2013年のブランドデビュー作は販売していた経緯があるので覚えております。

まどそふととしては、最初は戯画様のパートナーブランドとしてデビューという形をさせていただいて、そこから今、約11年です。
錚々たる皆様がいらっしゃると予想はしてたのですが、やはり自社が一番短いかと思いました。
なんとか業界の力になれるように引き続き頑張っていきたいと思っております。

ペンネームの長老という名前につきましてご説明しますと、社内に入ったら自分が一番年上でして、代表含めてみんな年下しかいないってことで…ちょっとYouTubeとか出るときに、じゃあ一番年上ならっていう事で「長老」としたのですが、お恥ずかしながら本日ご参加の皆様を見て、少し安心しております。

◆大澤編集長様

ブランドさんとしては一番若いブランドさんでありますので、その辺の感覚というか、お話もお聞かせ願いたいので、よろしくお願い致します。

先程接続されましたHIRO様、アリスソフト様の設立等については、既に聞いてしまったのですが、改めてちょっと自己紹介をいただきたくお願い致します。
各社の設立時のエピソードをお聞きしたいのですが、自分が入った当初の状況等でも構いませんので、何かお聞かせ願えると嬉しいです。

◆アリスソフト HIRO様

まずは遅れまして申し訳ございませんでした。
アリスソフトのシナリオマネージャーをしておりますHIROと申します。
よろしくお願いします。

私はシナリオとして入社し、その後、アリスソフト東京支社(現在はありません)所長、二代目の開発本部長を務めました。アリスソフトにはランスシリーズという大きなタイトルがあるのですが、自分は「超昂大戦」をはじめ、超昂シリーズや「ぱすてるチャイム」など、ランス以外のタイトルで脇を固めてきた立場ですね。

現在は弊社で運営しておりますブラウザゲーム「超昂大戦エスカレーションヒロインズ」の企画、設定、初代監督を経て、ブランドのシナリオマネージャーを務めております。

自分が入社した当時、アリスソフトでは「アリスの館456」「鬼畜王ランス」が発売された直後で、業界もちょうどエロゲーバブルの黎明期、世間でもエロゲーがサブカルチャーとして認知され始めみたいなところで、さあ、これからみんな色んなエロゲーを出していくぞ!と、いう気運が高まっていた頃だと思います。

◆大澤編集長様

皆様、自己紹介をいただきまして、ありがとうございました。
もう本当に錚々たるメンバーから、早くも楽しいお話を聞く事ができました。
ありがとうございます。

自分も改めまして自己紹介を申し上げます。

BugBugは1992年の10月に創刊したのですが、自分は1999年に編集部に配属されております。
その後、配属3年目にしてBugBugの編集長となりました。

それまでは普通のグラビアの「投稿写真」というエロ雑誌を作っていたのですが、ちょっとお前やってみろみたいな感じで抜擢されまして、ちょうどこの美少女ゲームの黄金期と重なりまして、売上も伸びてきまして、現在までやらせていただいている感じです。

なので、自分も30年前とかだと、皆さんもお話しされてた通り、ユーザーとしてエルフさん、アリスソフトさん、F&Cさんのゲームとかをプレイしていた側ですので、当時の思い出というと本当にユーザーになってしまいますが、よろしくお願いいたします。

では、早速進めていきます。

次からのテーマに関しては全員にお聞きする形だと時間もだいぶかかってしまうと思いますので、特にお話ししたいことがあれば、最初に面白いエピソードなどあれば語っていただくような形で、出てこないようでしたら、私が聞いていくような形で進行させていただければ、と思いますので、よろしくお願いいたします。

テーマ1:美少女ゲーム黄金期の思い出

◆大澤編集長様

黄金期といってもそれぞれあると思うのですが、こちらについて何かエピソードなどあれば、ぜひお聞きしたいです。
F&C様、先ほどの屋形船の話等、かなりバブルな感じだと思ったんですけど、何か他にもそういう聞いてるお話とかあれば、ぜひお聞きかせください。

◆エフアンドシー 矢野課長様

黄金期のエピソードの前に、先程、私自身のご説明が抜けておりましたので、自己紹介させていただきます。

私自身は2007年まではユーザーの立場でしたが、そこから業界に入らせていただいて、今、大体17年目くらい勤めさせていただいております。
なので、ちょっと黄金期自体は私自身は知らないんですが、原画の藤井純生から伺っていたのは、これは結構冗談を含めて社内で時々話題にはなるんですけど、当時、ゲームが売れた際に報奨金制度があったのですが、同期の方の封筒が縦に立って指で押しても倒れなかったのは思い出ですっということを語ってましたね。

◆大澤編集長様

なるほどなるほど。
次は、ネクストン様から「紀元前」のエピソード等で何かあれば。

◆ネクストン 松井取締役様

「紀元前」のエピソードはwikiとかによく載っているじゃないですか。
ネクストンのいわゆる、今の「Key」の脱退事件みたいな感じで、面白おかしく。
ところがネットに書いているまことしやかに書いてある情報とうちの代表の話と、先日ちょうどいい機会なので入社した樋上いたるさんの方に聞いた話とで少しずつ食い違いがあるのですよね。
結局のところ、抜けた人たちとうちの鈴木代表との間にはいさかいはなかったというところでは共通的な見解になっておりますので、多分、きっとそれが真実なのだろうなと思うのですが、結局はディレクターと制作スタッフの思想の違いというのが本当であったらしい。
社長としては、ディレクターの肩を持ったという事があったらしいのですが、結局、どうすれば一番良かったのか分かりません。

僕たちはその「紀元前」の出来事を教材としまして、社内でも揉め事が起きた時とかどういう解決をするかとか問題に解決する時にはどういう解決にするかというのを教訓にさせてもらっています。

エルフさんであったりとか、アリスソフトさんであったりが東西を代表して一番売れていた時は、ネクストンは特にそんなにヒット作がなくて、みんなで指を咥えて見ていた状況だったかと思います。
当時は、ネクストンですと「Liquid」というブランドがありました。

Key等の制作チームが抜けてからは綺麗なタイトルは売れず、どちらかというと黒系の方が多かったかなと思います。黒系でもまぁまぁ、パッケージが売れました。
売上を支えているLiquidの元々の開発部長がいて、そこから「恋姫」のスタッフが入ってきて、黒系ではなく綺麗なところでも活動できるようになってきた。
その後「恋姫」のほうでもいろいろ表に書いてしまうと、いろんな出来事がたくさんあったのですけど…
それを経て、社内が今の体制にだいぶ変わってきて、そこから「あざらしそふと」のブランドが入って、より綺麗なところに住めるようになりました。

ネクストンは、業界の黄金期の時よりは今の方が割と余裕がある状態になりまして、社員数もいろんなメーカーさんから途中入社の方が増えてきましたので、今は僕が入社した時の2倍ぐらいになりました。平均年齢だけはやたら上がったという(笑)
黄金期っていうと、市場全体の黄金期は本当に10年前から15年前になるのですけど、うちの会社だけで見るのであれば今の方が、余裕がある状態になったな、というふうに思っています。

◆大澤編集長様

ウィルプラス様はどうでしょうか?
昔の派手なお話等ありましたら…

◆ウィルプラス 榊原取締役様

さっきも言ったとおり、私は出入り業者を数年間やっていましたので、外から見ていてという話になってしまいますが…
もともとはゲーム業界と関係ないところから始まっていまして、こちらのゲーム業界に入ってきて、多分、ウィルプラス(当時ウィル)の1作目は大失敗してるはずなんです。
広告を担当したのですが、正直、売れないだろうなぁ…と思いながらやりました。
その後、2作目、3作目がある程度売れたらしいというところで、そこから当時の社長の身なりが少しずつ良くなって行ったような気がしました。

それと、当時のナンバー2の方ももう今はいないので言っちゃいますけど、彼から夜呼び出されて公園でタバコ吸っている時に、すごく儲かったんだよ。あれはこんなに売れたんだよ。と聞かされて。
そんなに儲かったのなら結構給料も貰えてるんじゃないの、と聞くと、先程のエフアンドシーさんのお話じゃないですけど倒れないほどのボーナスを、束のボーナスをもらったと。
私も気になってしまって、それはすごいな、そんな魅力ある会社なんだ、と思わず彼の年収っていくらくらいあるのって確認したら、130万!?
そういうことね。すごく苦労していたんだろうなと思いながら、この会社はヤバいなと思ったんですけど…今、私はここにいます(笑)
そこからよく頑張ったなっていうのをずっと見てました。

外から見た話ですが…いい話か悪い話かちょっと分からないですけど、この話は。

◆大澤編集長様

アリスソフト様は本当にずっとやってるので、黄金期がずっとっていう感じかもしれませんが。
ちょっと昔のエピソードとかで何かあればお聞かせください。

◆アリスソフト 白木社長様

私が入社したのが、先ほど申し上げたように平成10年(1998年)でして、弊社的には業界全体が盛り上がる少し前にもめちゃくちゃ業績が良い時期もあった、みたいな感じです。
ちょうど「アリスの館456」というバラエティパック的な商品の発売直後に入社したのですが、10万本限定生産とかやってて、実際に10万本生産していたんですよね。今となっては思い出話になってしまっていますけど、当時良かったなっていうエピソードではやはりその話が一番記憶に残っていますね。

◆大澤編集長様

黄金期といってもメーカーによっていろいろだと思うのですが、ユーザー目線で言うと、やっぱり、テレビアニメとかコンシューマーとか、いろいろなメディアミックスとかで盛り上がってた時期を黄金期と捉える方も多いと思います。
その辺、フロントウイング様とかは何かそういうメディアミックスとか含めて良かった頃の思い出みたいなものがあればお願い致します。

◆フロントウイング 山川社長様

うちがグリザイアのアニメをやったのが2クールだったので2014年と15年だったんですけれども、グリザイアのPC版を発売したのが2011年から13年にわたって分割というか、3作で出すという形で出させていただいて、18禁PCゲームの本数で言えばこれが最大なので、これがうちの全盛期かなと思います。

まさにこの頃からアニメだ、海外移植だ、そしてソーシャルゲームだっていろいろちょうど激動の10年ぐらいだったのですが、バブルらしい出来事はそんなにないですね。
売上は大きかったのですが、出て行くお金もやはり大きくなってくるので、その後に劇場アニメを自社で作ったりとかいろいろやって今に至るわけなんですけども、またその辺のエピソードは後でさせていただければ、と思います。

◆大澤編集長様

ケロQ/枕様とかはどうでしょう。
先ほどコミケのお話とかもあったと思うんですが…

◆ケロQ/枕 SCA-自様

どうでしょうか…うち自体は今が一番売上が高いなってくらいなので…
もちろん過去にはいろいろありましたけど、あんまり過去に対する思い入れがない人間なので。
いろいろユーザーとかも変わったりとかして、まあ、今のユーザーとともにというか、今をちょっと見て、いろいろいつでも考えて動いてるので、ちょっとこの30年間のこの黄金期とかバブル期とかよく分かりません。

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
それでは、次のテーマに移らせていただければと思います。

テーマ2:30年の間で最も印象的だった美少女ゲーム関連の出来事や事件

2年と、もっとその前から美少女ゲームがあったと思うんですけれども、それぞれ最も印象的だった美少女ゲーム関連の出来事とか事件等をお聞きして参ります。

ここは個人的にアリスソフト様にお聞きしたいので、ぷりん様、何かありましたら…

◆アリスソフト ぷりん様

悪い方の出来事になってしまうのですが、やりすぎちゃって問題になったゲームでの出来事が忘れられないです。

相当古いのですが、女性を後ろから追いかけて捕まえてレイプしてうまいことやったら逃れられるっていう、刑法のタイトルがついていたゲームがありました。※177(いちなななな)/マカダミアソフト
美少女ゲームという感じではなくて、本当のエロゲーですよね。
それが世間的にも悪い方の話題になってしまい、そういう事からやっぱりソフ倫のような組織が必要だっていう風になったと思います。

それ以降も、ちょっとやばいのが引っかかった事がちょこちょこあって、そういう事件は自分たちの仕事に直結する話なので、そういう事件を聞くたび知るたびに、自分たちはどう振る舞っていくべきなのか、どういうスタンスで仕事していくべきなのかっていうのは意識し、強く印象に残っています。

※『177(いちなななな)』とは?
1986年9月にマカダミアソフトより発売されたPC8800シリーズ用のパソコンゲーム。
夜道を走って逃げる女性を主人公が追い掛け回して服を一枚ずつ脱がしていくアクションゲーム。
10月21日に衆議院決算委員会において有害ソフトとして取り上げられ、事実上の発売停止となった。

◆大澤編集長様

ありがとうございます。

美少女ゲーム関連の出来事や事件、本当の事件でなくとも、自分を作った上で先ほど言ったメディアミックスが増えてきたとか、身近にスマホが出てきたとか、そういう面も含めてで構いませんので、もちろん身の回りの事件とかでも構いませんので、よろしくお願い致します。

引き続き、では、F&C様お願いできますか。
何かありましたら…

◆エフアンドシー 矢野課長様

原画家の藤井純生から話を聞きましたところ、ちょうど記憶に残って一番印象になったのは、初めて音声を入れた時のことが印象に残っています、との事でした。

当時、何とか音声を入れたくて複数の声優事務所に電話でのオファーをしたそうなんですが、R18ということを伝えた瞬間に電話が切られてしまったと。
何とか協力していただけるところを見つけて音声を入れたときは感動したそうなんですが、実際テストプレイをした際には恥ずかしくてプレイできなかったそうです。
そういう苦労もあって印象に残っているそうです。
その後、この業界が成長して大きくなり、複数の声優事務所から売り込みが来た時には「してやったぞ」みたいなぐらいにちょっと思っていたというエピソードを伺っています。

◆大澤編集長様

なるほどいい話ですありがとうございます。
それでは、ウィルプラス様、どうでしょうか。

◆ウィルプラス 榊原取締役様

事件じゃないとすると…

先程も言った通り、前の代表が、ゲーム業界の人間とは全く関係なかったので、この二次元のものを作っていくときに、何作かの実写を交えたんです。
2Dの静止画とAV女優を使った写真を、どっちかを選べるというような作品も作ったのですけど、それはユーザー様から相当叩かれました。
俺の好みじゃないとかこんなやつ使うなということで、そこからは業界に対してはちゃんと2Dで可愛いキャラを描いていこうということで、会社全体に指令がありました。
AV映像とか実写を忘れようみたいな話になりましたので、そこはちょっと強烈に、私も覚えていますね。

あとは個人的なことで、先ほども言いましたけど、私は元出入り業者でその後この会社に入って営業をやっていたのですが、当時ゲームワン石丸電気さんに営業に行って、バイヤーさんにお話をして、一生懸命商品を売り込んでる時に、ちょうどお客様がいらっしゃってて何か商品を選んでるようでしたので、それがちょうど弊社の作品と似たようなものを選んでいたで、咄嗟に寄って行って、うちこのゲーム作ってるんです。ぜひ買ってくださいみたいな話をして、お客様に売り込みに行ったんですね。
そしたらお店のバイヤーさんからめちゃめちゃ怒られまして、お客様に声をかけるんじゃないみたいなことを言われて、私の知ってる営業の世界とはちょっと違ったな、というので、いろいろ教えていただき、教わりながら今に至っています。

テーマ3:秋葉原や日本橋(大阪)等、電気街の変遷

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
それでは、ちょっとその流れで次の秋葉原や日本橋と電気街や、ユーザー層の変遷についてちょっとお聞かせ願いたいなと思います。
まどそふとの長老様は、もともとショップさんにお勤めということで、秋葉原にも詳しいと思うんですがその辺をお聞かせ願いますでしょうか。

◆まどそふと 長老様

ソフマップに入る前から一応客としては秋葉原には通ってたんですけど、覚えてらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、当時は駅前にバスケットコートがあって、それこそ本当に白物家電を扱ってるお店か、裏通りのパーツのところでジャンク品とかパーツを扱ってるところか、いわゆるエロアダルトか3つが混合するみたいな感じで、結構、電気街口っていう名前が相応しい状況でした。
ここ最近ですと、やっぱりコンカフェとカードショップが多く、うちは事務所が秋葉原なので日々通ってて思うんですけど、ちょっとなんか電気街口っていう名称がちょっと薄くなった事に、時代の移り変わりを感じます。

あとは先日、長年PCゲームを売っていただいてたげっちゅ屋様の秋葉原店が閉店しました。
約30年ぐらいずっとあのビルで売っていただいてて、もちろんうちの作品もデビュー作から扱っていただいていて、当時私はソフマップにいたので言うなればライバル会社さんだったんですけど、結構、げっちゅ屋さんのホームページとかはすごい参考にさせていただいてました。

ちょっと裏話ですけど、ソフマップでWebの.comの売り上げを伸ばすのはどうすればいいかみたいな感じで、上長から言われたときに、げっちゅ屋さんのWeb担当をヘッドハンティングするのが一番早いのかもしれません、という話もしていました(笑)
もしかしたら、どこの情報サイトよりもげっちゅ屋さんの方が発売日情報の掲載が早かったかもしれません。

長年、秋葉原に通ってた身としては、お店さんがなくなるのは寂しいんで、今残っているトレーダーさんとかソフマップさんに頑張っていただきたいな、というのは思いますね。

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
ランプオブシュガー様はいかがでしょうか?

◆ランプオブシュガー かわうそP様

先ほどおっしゃられたようにバスケットコート時代がすごい懐かしいな、というところで、秋葉原も再開発がだいぶ進んでもう本当に20年前からだいぶ変わったなという印象なんですけれど、その中でもすごく印象深かったのが中央通りの方にペンギンカフェみたいのがあって、実際ペンギンが見れたりとかっていうのが懐かしかったのは個人的に結構好きでした。

ショップさんで言うとそうですね。
やはり業界がこういう状況なので、だいぶ昔に比べて減ってはきている状態ではあると思うんですけど、やっぱりちょっと寂しくなってきたなというところと、あと結構いろんなものがごちゃごちゃってなっている。
秋葉原は昔の方が本当にPCパーツと家電だけみたいな、分かりやすさがありました。
あとは、そういった店舗の中に同時にPCゲームのショップさんがあったりとか、そういう時代の方が今は懐かしく感じるし、個人的には好きだったな、という印象です。

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
フロントイング様は、ずっと秋葉原に昔いらっしゃったということで、いかがでしょうか。

◆フロントウイング 山川社長様

秋葉原については、もう大体話が出たと思いますが、やっぱり深夜販売とかあった頃が一番懐かしいですね。
いろいろ並んでる人にコーヒー配ったりとか、昔の事が本当に懐かしい。

先ほども話してましたけど、秋葉原でどうやって面を取るかっていう、いろいろ工夫をしましたね。
店舗の面をどうやったら取れるのかっていうのを、広報の宣伝的なものっていうのはすごい考えたりして、その後はまとめサイトにどう取り上げられるのかみたいな。
研究とかもたくさんして、うちがやったのはグリザイアの発売の日にウサギの着ぐるみを5体借りてそれを街中に放つみたいなのをやりましたね。
マスターアップしましたよということで。

◆大澤編集長様

大阪の方はどうでしょう。
ネクストン様とかはやはり店頭をチェックされたりはされるのでしょうか?

◆ネクストン 松井取締役様

ネクストンのタイトルは毎月の発売日にほぼ何かが新作発売されているので、あまりマスターアップだ!発売日だ!ということはだんだんこだわらなくなってきたのですけど、それでも社内で、フルプライスや大人数が関わっているタイトルとかはチームによってはちょっと(店舗まで)見に行こう!という風になります。
販売店さんが発売日イベント等を開催してくれていますので、その時に何かしらプレゼントを用意したりとか、原画さんにもついてきてもらって、サインを書いたりとかしています。

大阪の状況は、私の肌感ですけど、秋葉原ほどの変化は少ないなとは思っています。
もちろん、あの販売店さんがなくなりましたとか、ここのPCショップがなくなりましたっていうのはあるのですけど、2000年の時は、メイドカフェは東京に比べると学芸会みたいな控えめものが1店舗しかなかったのが、ぽこぽこと増えてきまして、今それがもうちょっと裏物っぽいものが増えてきたなと思うのですけど、お客さんの様子や、ソフマップさんとか店舗さんとかの様子でいうと、昔とあまり大きな差はないかなと思います。

看板とかもあまり気にせず出しますし、逆に秋葉原の方が東京オリンピックの影響もあったのですけど二次元の看板、エロゲーは特にダメだということで、アキバソフマップさんのメイン看板のところもダメだという風になりました。
昔だったらそれこそゴーゴーカレーの上で、看板を出したりとかもできたのですけど、もう完全にそういうのはダメだっていうことになってしまって…
東京オリンピックで観光客がいっぱい来るからダメだってことになったのですけど、最終的に観光客なんか誰も来なかったオリンピックになったので、一体何のために適用したのかよくわからないことになったのですけど(笑)
結局今行くと怪しげな実写系の看板がありますし…まだこれだったらアニメの方が美観的にマシやったのじゃないかな、と個人的には思っています。
ただ大阪で看板を出したら販促効果があるかというと、あまり感じないので大阪は大阪のユーザーに対して販促できるところはやっているのですが、ちょっと秋葉原では販促の為に何をやったらいいのかっていうのが分かりづらいなっていうふうに、今は多少の息苦しさは感じています。

一時期は、販促の為にアドトラックを走らせていたのですけど、それでも怒られるじゃないですか…
ちょっと配慮して水着ぐらいにしていたのに、それでも怒られるというのがありますので、今後東京で何か秋葉原だからということで展開するのであれば、ちょっと方法を考えないと難しいな、という風に感じています。

テーマ4:ユーザー層・ファン層の移り変わりについて

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
次は、ユーザー層、ファン層の移り変わりについてちょっとお聞きしたいと思います。

イベントに出てらっしゃるところとか、あとはアンケート、最近ではSNSとかいろいろあると思うんですが、その辺で昔と今と比べてどう感じてらっしゃるかなど、お聞かせ、願えたらなと思います。

ケロQ/枕様はいかがでしょうか?

◆ケロQ/枕 SCA-自様

そうですね。
ユーザー層、ファン層に関しては、いろいろと変わった様に感じます。

10年くらい前からイベントのお客さんは海外の方がかなり増えました。
サクラノ詩』発売後、たぶん2016年頃のイベントに原画家先生が来て、直にサインをしてさらにユーザーの本名を色紙に書く様な事をしていたのですが、その頃は本当に海外の方が多かった。三割以上四割近くが海外の方でした。
当時はSNSで中国の方が爆増した感じで、非常に多く話しかけられた記憶があります。それこそコロナ前などは非常に活発に意見など飛び交っていたのですが、なぜかコロナ禍後、本当にここ数年は中国の方がSNSでしゃべる機会が少し減ったように感じます。データ上はいまだ中国のお客さんが多いので、少し残念ですね。
逆にここ近年は英語圏の方がSNSで話しかけてくるイメージはあります。

あとは弊社のユーザーに関してなんですけど、やっぱり2000年代ぐらいっていうのは2チャンネルなどの情報元が強かったので、ぶっちゃけユーザーの質があまり良くないというか、今の基準なら開示請求レベルの誹謗中傷からデマまで何でもありでした。そこからmixiなんかを挟んでX(旧Twitter)にユーザーが移行していく過程で、かなりユーザーがマイルドになりましたね。発言内容もですけど、基本的にメーカーに優しい感じを受けます。

弊社の客層は、20代が一番多く次に30代なのですが、今の若い子は本当に優しい。これは国内国外問わず変わらない。
アジア圏に関しては10年ぐらい前ですと、まだ翻訳ソフトの精度もそれほど高くはないので、日本語で会話が出来るというのはやはりインテリな層が多かった。喋る内容もなのですが、基本的には丁寧だったし、会話が知的だなと感じさせた。ただ最近はかなり海外の人が増えてきた関係か、日本人とあんま変わらない感じを受けます。
ただ北米圏はいまだに4チャンネルの影響が強いのか、なんかノリが昔の2チャンネルに似ている。
流石に当時みたいな誹謗中傷とかデマとかないし基本的には皆さん優しいのですけどね。

◆大澤編集長様

なんかすごいですね。
そんなことになってるんだって…

◆ケロQ/枕 SCA-自様

そうですね。
他のメーカーさんも絶対それはあると思うんですけど、ぶっちゃけ、あんまり言えない。
海外のユーザーは、例えばゲーム自体をやっぱりSteamとかで売ってる場合だったらまだ買えたりするんですけど、Steamで出てないものに関しても、翻訳版とか勝手に作ったりする。
でも、グッズはやっぱりちゃんと欲しい、正規のものが欲しいみたいなのとかって感じで、だからまあって感じですね。

その辺のところの海外の展開に関しては、フロントウィングさんの方が数字上はよく分かってるんじゃないかなという気はしますけれども…

◆大澤編集長様

フロントウイング様いかがでしょうか?

◆フロントウイング 山川社長様

ユーザーの移り変わりですか。
まあまあ、基本的には、SCA-自さんのおっしゃる通りです。

日本と海外ですごい違うと思うんですけど、せっかくなので、自分の知ってる範囲で話させていただきます。

海外の比率はゲームにもよると思うんですけれども、完全に中国、アジア系で人気のあるゲームと欧米で人気のあるゲームっていうのはかなり異なってまして、中国で人気あるのはやっぱり「ゆずソフト」みたいなかわいい感じのロリっぽいやつが人気で、やっぱり欧米はなんだかんだ言って、おっぱいが大きいとか、大人向け…大人向けって変ですね。その等身が高い、おっぱいが大きい。
そういうようなものが人気があるっていうのが明確に分かれてるっていう特徴はあると思いますね。

大体日本のSteamとかで出すと日本のシェアが20%あるかないかぐらいな感じなので、コンシューマーゲームだと日本のシェアってもう10%ないんで、アドベンチャーゲームって面があるんで、まだ文字を読むっていう文化が多分、日本以外ってあんまりないので…そのおかげでまだ日本のシェアが20%ぐらいあるのかな、とは思ってます。

◆大澤編集長様

日本のファンについてはいかがですか?

◆フロントウイング 山川社長様

日本のファンは、自社の場合は色々です。

自分が文章を書いたり絵を書いたりする人間じゃないので、作品ごとにクリエイターがバラバラで、かなり自社のユーザー層にバラつきがあるのですが、でもやっぱり「グリザイア」のファンが多いので、そう考えると、今30歳ぐらいの人が一番多いですね。

ゲームを発売した直後より、発売後、しばらくしてからプレイするユーザーの方がなんだかんだ言って多いので、アニメやってから10年ぐらいなのでやっぱり今30歳ぐらいだから、今社会人とかで30歳前後の人に会うとグリザイアやってましたとか見てましたってユーザーがすごい多いんで、うちはその辺の世代が一番多いかな、と思います。

◆大澤編集長様

ランプオブシュガー様はいかがでしょうか。

◆ランプオブシュガー かわうそP様

移り変わりという意味で言うと、うちもちょうど「タユタマ」という作品がアニメ化したのが2009年でしたので、やっぱりユーザー層的には結構30代が多いのかなという感じなんですけれど、PCを持ってない方がすごい増えたなという感じでいます。
スマホは持ってるんですけど、みたいな層が増えたので、スマートフォン用にゲーム開発とかアプリとして開発とかはしています。

PCを持ってない方がすごい増えたなという印象なので、そこをどうしていったら良いのかな、というところはうちだけの問題じゃないと思うので、逆に他の皆様がどういう考えをされてるのかな、というのは、ちょっとお聞きしたいなという感じです。

◆大澤編集長様

F&C様は昔からやられてますけど、何かそういう傾向等はありましたでしょうか。

◆エフアンドシー 矢野課長様

そうですね。
うちは特にここ最近は新作を出していなかったという事もありまして、若いユーザー層の獲得が弱かったというところはあると思います。
やはり全盛期を含めて2007年あたりまででしょうか。
Piaキャロ」とか「Canvas」とかを出していた頃の往年のファンの方たちに支えられてるっていう印象はあります。
なので、年齢層的に言うと、もう40~50代の人が今でも好きにファンでいてくださるような方たちが、うちの作品を支えてくださってるっていう状態に今はなってる感じです。

◆大澤編集長様

なるほどありがとうございます。
ネクストン様はいかがでしょうか。
あおきゅん様お願いできますか。

◆ネクストン あおきゅん様

弊社でいうと複数タイトルが出ているので、タイトルによって年齢層はまちまちだったりするのですが、単純にあざらしそふとだけで言うとブランド設立当初はり30代か40代の年齢の方が多いかなという印象でした。

コミケなどでグッズを買いに来てくださるお客さんについても、年齢が高い方が多かったかなという印象なんですが、「アマカノ2」がリリースした2019年や20年ぐらいのあたりからだんだん20代のお客さんの方が増えてきています。
イベントなどでも若い人がネクストンブースの方に来られていますし、なおかつ今ネクストンは、夏と冬に1回ずつネクストンパスポート(NEP)の会員様をお招きして食事会を行っているのですが、そちらに来られる方に関しましても、常連のある程度年齢層高めの方はいるものの、参加回数の浅い方も増えていますし、そういう人は大体20代前半で大学生だとか、大学卒業して就職したばかりの方だったりします。

一時期ユーザーさんのPC離れがあったと思うのですが、最近はまたFPSなどのおかげで、パソコンを持っていらっしゃるユーザーさんがすごく増えてきているなというのは実感ありますし、その兼ね合いなのか、PCゲームに触れる本当に20代前半のユーザーさんというのは増えてきた印象です。

◆大澤編集長様

ありがとうございます。
まどそふと様はいかがでしょう。
クラウドファンディングとか、イベントとかも積極的にやられてて、結構若いユーザーが多い印象ですが。

◆まどそふと taichi様

まず最初にごめんなさい。
ちょっと前の予定が押してしまい途中からの参加になります、まどそふとのtaichiです。
よろしくお願いします。

ご回答は、長老の方から…

◆まどそふと 長老様

弊社は2013年からということで、ちょっと他の皆様よりかは移り変わりっていうのはそんなにないかと思うのですが、デビュー作から現在まで8作品を発売させていただいて、ファン層としては20代から30代くらいです。

◆まどそふと taichi様

今、自社のアンケートを確認したのですが、最新作ですと、20代が60%、30代が31%なので20代、30代で91%、残りが40代、50代以上というデータになっております。
比較的ブランドがちょっとまだ歴が浅いという事もあって、そこまでお客さんが移り変わったっていう事はありません。

◆大澤編集長様

なるほど。
まどそふと様は、新規のユーザーさんをすごく獲得されてるイメージがあります。
ありがとうございました。

ちょっと時間を押してますが、一旦、ここで休憩とさせていただきます。

※次回、ソフ倫30周年記念座談会【後編】に続きます!

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